Tuesday 18 September 2012

on the train : 18th Sept 2012.

現在京都に向かう電車の車中.殊勝にもPCを開いてこの文章を打っている.
そもそも電車の中というのはどういうわけかどうでもよい考えをふらふらとさまよわせるのにいいところで,先ほどからそれに従ってまとまらない思考の断片があちこちをふらふら浮いているのだが,細かいことは気にせずにそれらを書き留めてみよう.普段ならだいたいページ横幅にあわせて改行を入れているところだが,ルータの類を持っていないので blogger のエディタを開くことが出来ず,それにこうして電車の中でする考え事のようなものというのは大抵一本の細い糸のようにつらつらと続いていくものでもあるから,たまにはこうやってだらだらと書くことにする.

電車の中が考えごとに妙に向いているというのは,どういうわけか,まことにその通りであって,すこし長距離の電車になるとすぐに考えごと(こうしてつらつら,はじめもおわりもなくやる "考えごと" というのは所謂「考えごと」とすこし違うような気がして,それ相応の語彙があればよいと思うのだが,ちょっとすぐには思いつかない{そう,このように括弧が乱発される [ おそらく脳内においては一旦考えを保留して横の筋道をすこしたどる,ということによって.ただ実際には保留した考えがすぐに破棄されてしまうことも多いという特性上たいへん文章にしにくいものだ ] のも [ 現に今ここをつなぐときに直前がなんであったかを目がすこし辿ったようである.打ちこんで変換を確かめたら後は過去の分が見えなくなるようなエディタがあればこうした考えを本当になにも手に持たずに考えた時のようにメモすることに使えるかも知れない ] 脳内でのつらつらした考えごとを書き留める際にありがちなことで,結果としてできる文章は読みにくいこと極まりないことが予想されるけれど,せっかくなので誤字や明らかにわかりにくい表現の言い換えのような場合を除いて後ろにカーソルを戻すことなく書くことにしようと思う [ 実際最初の "[ ]" の中の文章は今書いた文章と若干重複しており,僕は眠いことによる,と言い訳するべきか,あるいはやはり,脳内でいくつかの考えの筋道を同時に浅く辿ったりすることができても文章は一方向に書くことしかできない < そう,このことは文章や発話 : 言語の「線状性」 linearlity として言語学の本で指摘されていた内容である (!) > ことに帰するべきか若干迷うところだが,眠くなくてこれをしても結局同じようなことになる気がする.].})(おやおや,ようやく最初の括弧が閉じたようだ.)が始まる,というケースはかなり多いようである.流れる風景,動く必要がなく,規則的で地下鉄などでなければあまり横暴を働かない雑音が流れている.それに,結局のところ他にすることがない,というのも重要なのかもしれない.最近は携帯を弄るひとがかなりおおいようだけれど.そういえば, UK の地下鉄では,新聞(広告料などによるのだろうか,ただで配布されているのもちょくちょくある{そう,こういう今の自分のなかでは理解されていることをつい解説してしまうのも,考えごとそれ自体とこうした文章の重要な違いの一つで,現にこうして考えの流れはすこし妨げられている.自分自身のために書くときで会っても,未来の自分も同様の理解を持っているとは限らないから,結局同じことだ.})や Kindle やペーパーバックをよんでいる人が日本より多かったと記憶している.


補助席に座っていたのだが,今普通の座席が空いたので,そちらに移動した.電車の中には色々な人がいる.1人,2人連れ,いまの視界の範囲にはいないけれど家族連れ.男性,女性,仕事帰りと思われる人,遊びに行った帰りのような人.失礼にならない範囲で,見える範囲の人のバックグラウンドをぼんやり想像するのも楽しいことの一つだけれど,僕はいまどう見えているのだろう.ジャケットにジーンズ姿の(まあ,そんなに年上には見えないだろうと期待して)大学生くらいの男.大きい鞄と小さい手提げ(大きさと形からして中にPCを入れて持ち歩いているのだろう{実際には加えて本も入っているのだが})を持っていて,膝の上においた ノートPC を使っている.先程からキーボードをそこから手を離さずずっと叩いているところから見てなにか書き物をしているのだろうか.

…とかいっている間にそろそろ降りる支度をしなくては.降りてから続きを書いてもいいけれど(こうした文章においていったい続きとは?{思考は一旦途切れるのに}),まあ電車内で完結させるのもよいだろう.というわけで,ここまで.



電車に乗ったりすると,周囲の人間のほとんどが,包丁でも鞄の中に忍ばせておけばそれで僕(でも誰でも)を殺すことだってできるのに,誰もそうはしないし,彼らがそうしないのはおそらく罰せられるからではないのだろうことを思って,おもしろいなあとおもう.そんなくだらないことをよく考えている.