Sunday 25 November 2012

November Festival

大学に入ってから2回目の11月祭です.
最近時間的に行けてないサークル(一応楽器を{普段は好き勝手に}弾くサークルに入ってます)には関わら/れず,
まあ簡単にいえば暇人してました.
やや遠方(中遠方あるいは中近方?)から友人が来てたので一緒に回ったりしました.
今日僕がいろんな人に会ったり,眺めたり,どこか行ったり,
そうしたことの僕に与えた印象は多分にできごとの集積じゃないというか,
一般的なできごと以上に僕個人が僕個人であることに関わっていて,
要するにまあ,別に他人に喋っても聴く側にとって面白いものでもないわけです.
もちろんそうじゃない部分を集めることもできますが,
それはなんか,今日の僕にとってのメインじゃなかった,というような.

ともかく関係各位は(まだ片付けもあるでしょうが)お疲れ様でした.
なんか,こう,ええ,ほんとうに,ありがとう.

Saturday 24 November 2012

50000

どこかで「50000 円が突然与えられて,それを1日で使い切れといわれたらどう使う?」,
というようなアンケート結果が記事になっていた.
今の僕ならどう使うかなぁ,という記事.
有価証券とか日用品買い込むとか金とか寄付とかはやめておきましょう.
せっかくなので調べられるものは Amazon の価格を参考にして(無節操に最安値っぽいのを採用する),
ちょっと具体的にしてみる.
もちろんお遊びだし "今" なので明日にも変わってるかも,
そして実際今こうなっても この記事に書くような動きをするとは限りません.

突然お金が降ってきたらいつでもやりたいことの1つには旅行があるが,
1日で 使い切るとなると突然荷造りをはじめて行き先を漠然とでも決め,
それで 50000 円となるとなかなか上手く行かないかも知れない.
一週間で 50000 円とかならよりよい.東か西へ行きたいな(?)


50000 円となると楽器類は対象外.でも突然やって来たお金なら普段なら躊躇する使い方をしたい(?).
本とか考えてみようか.
実は三省堂の言語学大辞典
自分で買うときは多分当分来ないがこういう形なら欲しいかも,とか思っていたのだが,
一冊で 40000-50000 円程飛ぶようなので……ちょっと…….
一冊だけってのも微妙やし,ね.

本といえばとりあえず,買うかどうかは躊躇いがあるけどこういうシチュエーションなら
あたりはいいかもしれない.
言語学/語学系の本も欲しかったりするのだが,1日では何を買うか決まらなさそう.
グルジア語はあんまり本がないし…(げふんげふん)
Bourbaki は一冊読みさしがあるので外す.洋書が山とつまれてる本屋さんとかないのかな.
あと 17k か……高めのワイン 2本とかもそれなりに幸福な使い方かも.パッとしてるし.
万年筆もいいですね.この辺は今のところ具体的に買う予定がないのでなぁ.
大きな文房具屋さんいけば色々見たいものはあるのだけれど.
Kindle Fire HD が 16k のようだけれど,これはどうかなぁ…
実際のところ Kindle がただで手に入るにしても,
電子書籍をあまり疲れずに読める(可能性)にニーズを感じてて,
しかもそれは雑誌とかそういうのはあんまり入ってないので, paperwhite の方が合ってるかも.
まあここは店頭でみて,という感じでしょうね.paperwhite が 8k か.
意外と電気屋さんまで遠いので,1日で使いきれというなら止めておこう(?)

 ということで万年筆を買います.

__________
25/11/2012 : いや,ATOK 買います.残りはインク買うなりワインにして飲むなり

Monday 5 November 2012

nonsense

意味のない文章,というのも,それが文章として成立している以上,何らかの意味があるはずで,
意味と意義は文脈によってはわざわざ区別することが有益かもしれない.
ともかく,一定の方式に拠って予め定められた意味内容を伝達する手段,
例えば単純な(?)ところでいえば 交通標識などといったものが挙げられようが,
そういったものとは異なり,言語は全く無意味と思われる形式,
意味をなさない と一般に受容される形態をその中に含むことができる.
(信号機でいえば例えば,赤・黄・緑或いは青,例えば全てが点灯していれば
 それは意味をなさず,極めて非日常的で,ディストピアの匂いもするが,
 これは信号機のなかに含まれない範疇にあると考えてよいだろう,
 少なくとも人間の言語がごく自然に無意味さを含みうるのとは対立させることは,
 1つの話し方としては可能だろうと思う.関係ないがディストピアという響きは素敵.)

無論無意味も意味であり,立場によっては沈黙も発話であるが
(とはいえ,この立場にたてば意識があると認識されている間常に我々は発話していることになる),
ともかくこうした 意味をなさない文章というものには昔から興味がある.
それは,意味構造を作るとみなされている文章において意味をなさないというそれ自体の他に,
1つには意味をなさないながらも何らかの印象,感触をそれらが持ちうるということで,
意味を持たないがゆえに他者との共有の難しいこうした感覚を,幼い頃の僕は好んだし,
今まで折に触れてそれらに目を注ぎ,大事に扱ってきた(つもりである).
このことについて,特に僕に印象を与えているのは外国語として英語を学び始めた頃に始まる1つの考えで,
それはつまり,母語話者の感覚が最も非母語話者のそれに対して優越性を示すのは,
意味においてではなくむしろこうした無意味に対する感触だろうというものだ.
外国語習得において習得とされるのは当然意味のある文章の意味を掴むことであり,
骨格の見えない,"非文法的文" より意味伝達についてはなお手前にある塊を彩るのは,
外国語としてそれらを学ぶ人間に姿を表してくれる大局的で有機的な繋がりではなく,
それぞれの粒の表面の毛羽立ちや,それらが思い起こさせる色々なものの翳といったもので,
あるいは秋の空を見上げた時に心の中を様々なものが去来するその感じに,
秋の空が惹き起こすのは外に向いた五感の感覚や,それを発端とする感傷であり,
今考えているのはそれとは違う言語的な感覚であるということ以外はよく似ているのかもしれない.
 こうした微細で不確かな感覚は,もちろん普通の文章についてもあるし,
言葉に手垢がつく,とか ,
特定の思い出や特定の人の特定の言葉の使い方が文章に何らかの色を差して見える,
というときに我々に対して現れているものは,
どちらかというとこの "不確かな" 感覚を惹き起こす者たちの側にあるのだとおもうけれども,
普通の意味伝達において多くの部分を占めるのはやはり,
もっと大きな意味的構造や,発話の場合は発話者の performance だろうとおもう.
その先にあるもっと濃密な感覚に僕は惹かれてきたし,
母語以外の言語について,そのことをより知りたいとも思ってきたのだった.


話は変わってここはあとがきのようなもので,
今僕は, 第三者的に意味のつかみにくいような文章になっていることを予期しながら,
それでも楽しんで文章を綴っている.
脳内の思考というのは文章化されたものとは違ったフォーマットを持っているが,
それをあまり文章の形に変換することに注意や労力を払わないまま流していくこの感覚は,
或いはそもそも脳内に流れている思考に対する感覚は,どの程度共有されうるものなのだろう.

Saturday 3 November 2012

LaTeX - 2nd Nov 2012

ここ最近 LaTeX まわりで新しく知ったこと,あるいは思い出したこと.

  • 初めて本格的に amsthm package を使った.これについては例えば en.wikibooks が充実してる.
  • 日本語で組版すると, theorem 中とそれ以外の区切りがはっきりしなかったりするので(手書きなら若干 theorem 環境内にインデントを入れる気がするが), framed.sty を使ってみている.なかなかいい感じである.
    • framed.sty - CTAN
    • 解説や拡張については 滋賀大学の http://www.biwako.shiga-u.ac.jp/sensei/kumazawa/tex/framed.html が充実している感じ.
      • biwako.shiga-u.ac.jp 下のページにはこれに限らずちょくちょくお世話になっている気がする.
    • 今のところ framed 環境を使っているが leftbar もいいかも.
      • framed -> theorem で入れ子にすると, framed で一旦くくった後に再び theorem 環境が始まるので,枠と theorem の間が広すぎるように感じて,\vspace*{-0.4\baselineskip} を挟んでいる.
      • \(
        \newenvironment{ftheo}{%
        \begin{framed}\vspace*{-0.4\baselineskip}
        \begin{theorem}%
        }%
        {%
        \end{theorem}\vspace*{-0.4\baselineskip}\end{framed}%
        }
        • 上のやつの一行目は無視してください(原因不明{Mathjax 周りちゃうかなあと思うけどよくわからない…}の表示の乱れを解消する最小の再現例がこれ)
  • equation  カウンタを例えば section ごとにリセットするようにするなら
    \makeatletter
    \@addtoreset{equation}{section}
    \makeatother
  • footnote とは別に,文書の最後に註釈を飛ばす形の命令作りたい.
  • framed 環境は footnote を "飲み込む" ので(各自実験を),今のところ \footnotemark\footnotetext で対処するほかない.
    • 1つの framed 環境に複数の footnotemark があると,カウンタはその数だけ最初に増えてから footnotetext を入れることになるので,
      \addtocounter{-1}
      でカウンタを調節してからやるとよい(なんとなく \addtocounter を憶えていてびっくりした)・
    • この辺もうまいこと1つの命令でできないかなぁ.
  • と,上記2つの目標のためにやはり .sty とか .cls とか,ともかく TeX 自体に近い部分をもうちょっと勉強したいなとおもいました. \makeatletter とか殆ど使ったことないし(情けない).

Thursday 1 November 2012

Education

Education.
お,硬派なネタが来たな,と思いましたか?
残念,社会派なことを書く気はあんまりありません.有意義な提言のつもりもありません.
まあ,ゆるゆると,世迷言を.


Sim City というゲームがあります.(僕が今喋るのは Sim City 4 について.)
有名なゲームですが,知らない方のために解説しますと,
ある未開の地の"市長" (日本でいう市長よりはかなり権限が強いと思いますが)を演じ,
都市に道路を作り,住宅区画や商業区画・工業区画を作って人と産業を呼び込み,
電力と水を供給し,ゴミを処理し,警察,消防,病院,教育,交通機関を提供して,
税率を設定し,都市を発展させ(或いは発展させず)てゆく,
箱庭的な要素も多分にあるゲームです.主なプラットフォームはPC.
隣接する都市は互いに接続し,人や雇用のやり取りが行なわれます.

ある時,僕は貧乏人を集めた都市をつくろうと思い立ちます.
人口密度の高い独特の景観が作れるかもしれませんし,
地域全体を活性化させ,隣近所の都市に裕福な住民を呼び込むこともできるかもしれません.
それに製造業は多くの場合,騒音や汚染のために裕福な住民からは嫌われるので,
この都市にそれを集めれば地域の工業の振興のためにもいい影響があるでしょう.
税率は,住民税,商業,工業にわかれていて,それぞれ所得水準で 3つに区分して設定できるので,
裕福な住民と中所得層への税率を目一杯上げ,低所得層の税率は据え置きましょう.
仕事も必要ですが,上記の目標を達するため,
また実際全体として所得の低い都市には オフィスやハイテク工業は魅力を感じないようなので,
主に製造業を立地させましょう.教育レベルが低いとハイテクとかには就職できませんしね.
こうした都市の場合しばしば過密気味になって深刻な交通問題が発生するので,
ある程度先のことを考えながら,太めに道を作ったり線路を引いておいたりします.
他の交通機関のためにスペースを空けておくのも一案.そのうち収入源になります.

僕は市民を搾取して喜ぶタイプの人間ではないので,
学校と病院は最初に立てますが,経営が安定してくれば高校や図書館を立てます.
皆さん意外と読書家で,図書館は収蔵図書数以上の本を貸し出したりします.
病院は,人口密度が高いのと,皆様の収入がそれほど高くないことによってすぐ混雑しますが,
めげずに十分な量を立てます.
さらに安定して来,また住民の教育レベルもある程度上がってくれば,
市立大学を立てることができます.総合大学もよいですが,あれはやたらに場所を食うので,その辺は相談の上.
かくして,収入レベルは低くとも,十分な病院と教育機関を擁し,
そこに流れ込んでくれば比較的健康に暮らせ,しかも教育の機会が潤沢にある,理想の都市が完成するわけです.

しかし,ここで問題が発生します.市民の失業です.
渋滞はすでに十分な問題になっており,
その結果通勤時間に嫌気が来た住民たちは しばしば離職しますが,
地下鉄にバス,鉄道,更にはモノレールも設置し,条例で予算を投入してそれらの利用も促し,
交通状況は幾分かは改善されてきているはずです.
健康,教育いずれも十分.土地としての幸福度は十分高い.一体なにが問題なのか.

ここへ来て,答えは比較的単純に出ます.彼らの教育レベルにあった職がないのです.
もともとこの都市の産業 は主に製造業と小さな小売店.
今や教育が行き届き,図書館,美術館,さらに大学を擁するこの都市で育った子供たち.
彼らはもはや,製造業やちっぽけな小売店で働きたいとは思わないのです.
彼らの勤労意欲をかきたてる,例えばハイテク産業やオフィスの類,
いずれも,都市のコンセプト的に,
また建ったところで大気汚染や需要のなさによってすぐに廃業すると思われたために,
意図的に排除されてきたものです(このことについては "そういう都市" なのでこれでよい).
こうなると(都市のコンセプトを変えないなら)隣町で職を探してきてもらうしかないのですが,
そうなると今度は通勤距離が問題になってくるようです.
市長としてはこれはこれで,貧乏人が生まれ,あるいは流入してきて,
彼らが育つと共に,ここで身につけた教育を武器に巣立ってゆく都市,として満足.
(現実の世の中にそういう都市を作っていい都市と思えるかは別にして.)
運輸局も人口密度を背景に大きく黒字を稼ぎ,なかなかいい感じに成長しています.
失業者対策は…そうですね,難しいところ.住宅地を削ってショッピング街にでもしてみようか.




最近,特に(理学や文学の?)修士や博士は,就職が困難,というような話を時々聞きます.
少なくとも,それらの "教育" の成果が(これらが "教育" と呼ぶべきものかは別の問題として),
必ずしもキャリアを形作る上での強力な武器になっている,という訳ではなさそうです.
人生の "成功"に繋がるという確信を持ってそうした環境に身を突っ込めるわけではなさそう,
といってもいいかもしれません.
無論,所謂人生の "成功" とは,或いはその価値は,とか,
"高度な教育" → "社会的価値" という図式は果たしてそもそも(幻想としてさえ)存在し得たのか,とか,
そういう話もあります.
また今 " " でくくった言葉にしても,十分に説明を尽くさないと恐らく誤解を招くでしょうし,
僕の言葉遣いそのものが,この件についてはあまりに naive であるという批判もあるいはあたっているでしょうが,
今はそういう精密なお話をしようというのではありません.
{とくに,僕の使った "キャリアを形作ること" や "社会的価値"は,
 "意識高い" 人々の使いそうな用語で,そうした派手な言説の手垢がついている部分もあってか,
 今まさに,誤解を招いているだろうという感じがしなくもありません.
 以前も恐らく,この辺の言葉遣いのために若干理解に齟齬をきたしたことがあり,
 従って僕は今,この文章をこのまま放置するべきではないのでしょうが,
 かといってその意味をつまびらかにするには気力や何やが足りません.
 だから,とりあえず僕が "意識高"そうな,
 或いは学問を学問として見ていない言葉の使い方をしている感じがしたら,
 少なくともそれは,非は僕の方にあるけれど,ともかく誤解に近いものだ,
 と書くにとどめましょう. }

ともかく,なんかこの感じが,さっきの市民たちの失業に似ているな,と思ったことがあるのです.
日本が後進的,とか,十分知的産業が育ってないとか,(真偽は別にして)そういうことをいいたいのではなく,
ともかく,感覚として.
そしてそれはひょっとしたら宿命的なもの(製造業が全くない世の中というのもありませんから).
(この製造業は Sim City でいう"製造業"のことですよ.)

似てるな,というこの感覚.そしてちょっと残る違和感.
それはこの言説に対してではなくて,対象の定まらないものですが.
ともかく, あまり考察を深めないまま,
教育,と題した Sim City のステマは,これでおしまい.