Sunday 19 August 2012

真理

真理.
真理,と一口にいっても,
それ自体がどんなものか,とか,真理という語彙について,とか,
それが実在するかどうか,とか,
いろいろなことをそこから話し出せるものじゃないか,と思います.
古代よりたぶん,多くの人たちが,
真理そのものについて考えてきたのでしょう.


あるいは,科学の営みが追求しようとしているのは,真理と呼んでいいのでしょうか.
(物理については僕はどちらかといえば 根本原理 ということばを好んで使いますが,
 それが正当という根拠が特にあるわけでもありません.
 最近,昔思っていたのと違って,数学はむしろ世界を張っていっているという感覚を持つようになっています.
 これも,どうなんでしょうね.
 しかし,少なくとも科学の営みが第一義的に何を求めようとしているのか,への答えは,
 分野や当人の興味によって変わってくるものなのかもしれません.)

宗教とのかかわりでいえば,僕の知っている限りでは,
もっとも “真理” というものを重視するもののひとつは,仏教です.
これはおそらく,(いずれも僕の理解の範囲では,になりますが),
仏教の少なくとも最古の部分の思想は,
つらぽよその他一切について,外界にその原因を求めるのではなくむしろ内面化して,
自己の内面における,世界に対する姿勢や世界の受容の仕方にまで還元し,
それらを智慧(といってよいのか)によって根本的に転換することで(簡単にいえば内的な変革によって)
(自分にとっての)世界全体をも 変容させようという,ある種極めて野心的な思想であり,
従って,非常に個人的なものである,内面の理解・態度の変革が本質的に必要となる,
ということを考えれば,当然のことといえるのでしょう.
この点についていえば,救済や罰 が外的で絶対的な要因:神 に基づいていて,
神と人の関係性の中で待遇が決定されてゆくユダヤ・キリスト教とは
はっきりとした対照となっているといえるかもしれません.
 (ちなみにこのあたりは,仏教学入門のレポートに書いてみた内容です).

日常語においては,
「一面の真理」とか,そういったいいかたをします.
眠くなってきていまひとつ膨らみませんが,
やはり,真理がそこに1人でたっているというよりは,
色々なものをみているなかで立ちあらわれてくるようなものとして,
真理は感覚されるのではないでしょうか.
ある言説について,「それは真理だ」というときは,
やはり「それ"が"真理である」というよりも, 真理の中にそれが含まれる,というか,
その言説が,非常にまっとうで,信頼のおける,真なるものを感じさせるような,
いや,要するになんというか,定理の体系が真理であって,
しかし定理のひとつひとつも真理と呼ぶ ,というような.
 まとまりがないですね.

もう少し真理についての(こういうものである,あるいはこういうものである, というような)分析をしようかとも思いますが,
今回は一旦これで措きましょう.





僕自身が,真理と聞いて最初に思い浮かぶイメージは,
だいたい,一本の,すっとしたまっすぐな棒です.
それには多くの場合太さがあり,長さは長いもので,
周りには剥がされていくべき(あるいはイメージしている貞享に撚っては状況によっては剥がされた)
諸々の具象が巻き付いています.
接平面に具象がのってるというような,
あるいはそれらの包絡面として真理が浮かび上がってくるとか,そういうような.

ほかのイメージとしては,,
なんというか,「基底」 .
この世界を張る,基底のようなものをイメージすればいいと思います.
それがどれほど複雑なものかはわかりません.
実にシンプルに美しくまとまるかも知れないし,
あるいは,すべての具象を表すためには無限の基底が必要で,
結局世界全体を包んで初めて真理と呼ばれるものが出てくるのかも知れません.
いずれにせよ,常に真であって,
それでいて,世界を包括できるような,そういうものとして,
僕は真理というものをイメージしているようです.





今回は, slots さんにお題を頂きました.ありがとうございます.

お題を頂いてから随分経ってしまって,申し訳ないです.
試験で忙しかったのと,内容的にもとっくりと考えこんでしまいました.

どうにも思考がどんどん拡散していってしまい,
結局こうして,まとまりのないまま,
そしてそれぞれを掘り下げないまま公開という形にすることにしました.
なぜか,先ほど深夜の11時30分ごろから,勢いで書き続けてこうなったものです.
が,さらに書きたいことを思い出したので翌日にさらに回すことにしました.
一段落いま書き足して,こういう形になりませした.
可能なら,おいおい追記していこうと思っています.
そもそも,「真理」という言葉自体を,僕があまり意識的に使ってこなかったのではないか,
という意外な事実もあったりします.
「それが真である」とか,「正しい」とか,そういうのとはレベルの違う,
「真理」という単語は,案外,僕にとっては手元に常に置いておく単語ではなかったのかもしれません.
あるいはそうでなかったのかもしらませんが.

こういうお話については,誰かと話す,というのも,よいことを齎してくれるように思います.
あるいは,もっと微分的な形で書いてみる/投げてみるのも.

お題は常に募集中です.
http://lesguillemets.blogspot.com/2012/03/blog-post_04.html
へコメントでお願いします.匿名でも非匿名でもどちらでも構いません.

1 comment:

  1. 真理についてちょっと書いてみました.
    君のpostを引用したのでそのお礼がてら.
    ありがとうございます.
    http://erdos-n-inf-thought.tumblr.com/post/30999258688

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