Thursday 21 June 2012

「遺」書

決して暗い話ではないのですが,しぬこと とかそういう話が出てきます.
気分を害することがあったらごめんなさい.




遺書は,死ぬまでに書こうと思っている.死んでからは書けませんが.
遺書と言っても,そういう遺書じゃなくて,もっとお気軽な,
えっと,不慮の死,とか,そういう時に備えて,死なないうちに少しくらい何か書いておこうか,
という話.人間として明日にも死ぬかもしれない身ですから.
中学の頃から思っていたのだが,親からなんか二十になるまではって止められてるので,
まだ何も書いてない.
そのうち老人になったら自分で自分の葬式の企画やっとくのも悪趣味でいいかもしれない.
もしくは,自分の葬式の司会を自分でするの.録音しといて.
「本日は私の葬式においでいただいてありがとうございます……」


それでね,随分まえに思いついた話なのだけれど,
例えば ぴゅとん (TLでこれを使うから友人にほんとにぴゅとんと呼ぶと誤解させてしまったらしい…w)とかを使って,
上のような感じで書いた遺書に,
「PC立ち上げて(password はこれこれで)… ****.py を実行してください」
とか書いとくと,L みたいなことをしなくても死んだあとに色々行われるようにできる.
少し勉強すれば,死後に「臨終ナーーーー」「みんなありがとーー」「最期にふぁぼれよ」とか
そういう tweets をさせることだってできそうだ.
実際ぴゅとんでクライアント作ってる人もいらっしゃるし.
できるのか知らないけどメールとかね.


で,最近考えてて結論が出ないのが,できるとしてしたいかどうか,
するならどうしたいか,という話.
やっぱり,「あれあの人最近見ないな…リプも帰ってこない…」ってのも嫌な気がするし,
かと言ってあんまりもう僕はこもうこにはいませんとかいって 場を凍らせるのもどうかと思う.
bio を変更だけっていう位もいいかもしれないですね.
時間帯とかも(妙に想像をふくらませている),人がいない時を狙うのがいいかな,とか.


でもアレ,TLに自分が死亡した旨の tweet が流れてきた時に,
その follower たちがどういう反応するのかってのはちょっと想像の価値がある.
そして死後に tweet って聞いたことないから,そのことだけでも準備してみたいな,
と思わなくはない.

ついった周りの話が中心になってるのは,
そのあたりへの告知のありようを自分が担うしかない部分,ということ.
高校の友達とか,そのへんはまあ,ほっといても伝わるだろうし.
難しい話である.ついでに我々が老齢になる時にはどういう社会になってるのかも気になる.

2 comments:

  1. 一人称の死の在りようもかわりますね

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    1. そうなるでしょうね,そしてその影響はなかなか測りがたいかもしれない

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