Sunday 27 May 2012

pp

うーん

several 断片-s. そういえば英語も仏語も複数形は原則的には -s で表すけど,ラテン語はそうではない.
こういうの出所が気になるよねー.
冠詞とかもそういえばそう.僕の知ってる範囲では
ロシア語・ラテン語にはなくて,一方古代ギリシア語,英語,仏語にはある.
仏語の冠詞は英語のそれより発達してるイメージ.
部分冠詞とか(あれは定冠詞に文脈によってそういう役割を もたせらてるといえる気もするけど)

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要するに「大学で学問したい!」ってそんなに軽々しくいっていいものじゃないのかな,とか.
大学に来た以上ある程度そういう期待を持つのは十分そうとしても.
うーん,どういうことを言いたいんだろう.

高校まで(特に,僕の行っていた学校は私立だったのもあるのだろうけど)って,
なんというか「勉強」 をすることって fully approved. ちょっと語感が違う気もするけど.
大学以降の学問は,…誤解を恐れずに言えば,一種趣味の域が入ってくる,というか.
分野によっては多分「将来的に役に立つ」とはいっても,「いつなにの役に立つかはわからない」ところもあるし,
そうなるとそれのために出資っていってもだれがどうしていいかわからない.
つまるところは,(文化とか,文明とか,そういうところも含めて)社会的な「価値」を生み出さないと,
結局のところ自分で何かを売ったりしているのでないなら,「養いきれない」.
要するに「君が勉強して,一体(君の親しい人以外)誰が幸せになるんだい?」
(後記註:ここからは僕へ話しかけてる声を想定しています声は(ご存じの方は) xenoblade のアルヴィースでどうぞ)
「幸せにできるかもしれない,…そういうなら君に幸せになれるお金をあげられるけど,…」
「誤解を恐れずに言うと,いいかい,誰も幸せにできないのに君だけが学問をしていても,」
「…それは君が楽しんでいるだけ,いくら高尚なものであっても,ゲームとかわらないよ」
「勿論それを涵養していく必要性は僕も感じているさ.だけど,社会的資源だって無限じゃない」
「君だけが自分の好きな遊びをして暮らしていけるなんて法はないだろう?」

「本当の意味でインテリでないと」と言った 時に念頭にあったのは,こういうようなことです.
件の発言は大学を出た人間としての責任(そのことも勿論思う)についてとも取れるし,
また上の規制が当てはまる人間で全ての大学生を語るべきではないけれど,
そこは,1つの tweet をするときに人はそんなに色々考えないので.
主に,当時インテリとして考えたのは,ロシヤ文学にでてくるような,
或いは旧い日本の小説の一部にでてくるような(真逆のインテリもでてくるのだけれど),
学問があって,それは何かのために身につけようとしたのではなくて,
そしてそのためにいつ社会から脱落してもいい,というような人たち.多分.

「しかし,私には『思想』がある………!」

2 comments:

  1. 学問が無意味だなんて僕は思いませんが。

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    1. コメントありがとうございます.
      まず,僕自身も,少なくとも意識的には,
      学問が無意味であるとは全く考えていません.
      festa さんのこのコメントが,僕の文章が誤解を生んだのか,
      あるいは僕が実は潜在的にはそう考えていて,
      それを感じ取られたのかは分かりませんが.
      もしくは学問が「無意味」というところで意味するところが
      違うのかもしれません.

      僕は,学問は実際人類の得られるもっとも豊かな至高の果実の一つであって,
      これ以上なく尊重されるべきだと思っていますが,それと同時に,個人的な経緯もあって,
      実際のところ学問が学問自体の為だけに立っていられる,とは必ずしも思っていません.
      とくにこの記事を書いた時は,思考のふれの中でそうした考えが大きなウェイトを占めたときでした.
      寧ろ,一時期の僕が学問は無条件に尊重される>べき< というのを強硬に思いすぎていた部分があり
      (すべての「べき」は必ずしも実現されないようですから),
      その揺れ戻しとして逆側の考えに打ちのめされることがある,というべきかもしれません.

      幸せ,とここでいってるのは,何も直接的な幸せ,応用できるかどうか,ではなく,
      「果実」としての学問そのものもふくんだつもりでいます.
      つまり,どういうのか,
      「みにつけてゆく」ことが目標であり,それが評価にも繋がった高校とかとは断絶したレベルで,
      「学問で食べてゆく」ことには覚悟が必要なのだろうな,ということ.
      学問を享受するだけではなくて,自らがその供給者になる,という十分な気概がないと,
      学問で生きてゆくことは難しいのかなぁ,というようなこと.
      そしてあまりその辺のことをしっかり考えずに,高校時代を生きてきたな,というようなこと.
      そういうことを書いたつもりです.

      p.s. 編集枠に合わせて改行してたのですが,実際のコメント欄と幅が違うようです.
      文章もある程度改行にそっているため今更そろえるのも労力がかかるので,
      非常に見づらい体裁のまま失礼します.

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