Thursday 28 March 2013

(title)

ねむいしつらいひと「ねむいからつらい」
つらいしねむいひと「つらいからねむい」
つらいしねむくないひと「つらいからねむくない」
ねむくないしつらいひと「ねむくないからつらい」

統計学のひと「相関と因果を区別しないといけない」




…っていうようなことを考えたけど [何を?],
"つらくてねむくない" とか "ねむくなくてつらい"
とかにすると因果関係を表現してるようにも(単純な列挙にも)読める.
つらいしねむくない,だと,僕からすれば列挙ととるのが preferred な感じがするが,どうだろう.

ねむれない && つらい,的な表現,とは.
myself.sleep_well() == False and "つらい" in myself.feelings()
他のいいかたなら,ねむれない.あと つらい. みたいなかんじだろうか.かつ,つかうとか.
なんというかふと思いついたアレでいえばいわゆる言語の線型性というか,
要するにどうしても発話にあたって一連の順序ができてしまうので,
つまるところ「つらいしねむくない」と「ねむくないしつらい」の2つも別物になるし,
-て を使った場合ますます因果関係っぽい雰囲気が出てしまう,というような.
そこで合唱です.2つのパートで(できればかわるがわる連呼で)歌えばよろしい.
2つの盛り上がりを同時に示すことができます.

そういえば全然話変わるけど和音とかだといっぺんにそれなりに音取れる一方,
2人の話をいっぺんに聴くのは和音の聞き取りほど容易ではないけれど,
これはたとえば,2人に同時に異なる文字列を聞かされる(意味解釈は要求されない)
のともまた全然違いますね.多分.それともそうでもないんだろうか,
一連の声をきちんとつないで把握するのにキャパシティが足りないみたいな話なんだろうか.
音楽の中に文字列を割り当てれば,思い出すのに時間がかかるけど,
無味乾燥あるいは意味がない情報でも憶えやすく,かつ憶えたら当分忘れない,
というようなことができるんじゃないかという事はだいぶ昔から時々思っていて,
単純に音階に割り当てるとか,ある時点の同時発音数でエンコードするとか,
冗長にするならコード進行でなんとかするとか,リズムに埋め込むとか,
まあいろいろあるけれど.音階に割り当てるのはひどい音の並びになって失敗しそう.
確か中学生のころは覚えるべき情報をドット絵に変換してその抽象画を憶えたら
いろいろ捗るのではとか思っていたこともあった気がする.
結局そこまで必要に迫られなかったし普通に覚えたほうが楽しかったし
デコードの工程がそもそも実用的でない(さらにそこで機械使うならまだしも)とかで
本気でやってみようと思ったことはありませんでしたが.一回やってみようか(?).

ピアノを長くやってるせいかドレミファソラシドは「ドレミファソラシド」として聞こえるので,
ドレミファソラシだけを音韻に持つ言語があればそれはそのまま音階に変換して
不自由なく使えると思う.
半音,たとえば ドのシャープ=レのフラット がどう聞こえるかは '文脈' によるみたいなのだが,
これらにまた全く別の音名を与えた体系で音楽を学んだら,
やはりそう聞こえるようになってたんだろう(か).
そういえば,歌詞付きの曲を長く繰り返して聴いてると,
そのメロディー(場合によっては伴奏でも)を聴くだけで歌詞が頭に浮かんだりとかするけど,
ドレミファソラシドがドレミファソラシドに聞こえるのもそれを一音ずつにやってる感じなのかなぁ.
いやしらんけど.


ほんとは最初の 5-6行がなんとなく浮かんだだけだったのだが.
どうしてこうなった.後半ほとんど思考の泡を書き並べただけじゃないか.眠くないけど眠い.

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