Tuesday 24 January 2012

Japanese language

言学,という講義がある.言学という言葉は余り一般的なものではないようだが,
概して日本語の具体例を通じつつ,「言語」による表象とはどんなものか,を考えてる印象.
従って記号論っぽい話もずいぶんあるし,また意味の位相というような側面にも触れる.


まず,母語,というのは他の言語とは違った意味合いを持っており,それは所与のもの,
あるいは "自然に「生い立つ」もの".ここに気づくことは1つの契機となりうるよね.
それから,言語というのは何かを区切るものでなんかどっかで聞いたような話やけど……記号論とか養老孟子とか,
一方,幼いこどもはまだ切られてない世界に生きており,それにはそれなりの世界認識があるはず.
それは,成長と共に失っていくことでもある.

まず,語彙の話をしてみよう.言語には幾つかの aspect があり,そのひとつはまさに"意味すること".
しかし意味自体は,客体であるけれども具体物ではない.物そのものは,我々の世界には基本的に属さない.
(一方,意味することなしに,そのままで存在を"了解"することはある.初めて海鼠食べるときとか
こうしたときは,ひとは名前をつける---しばしば,知っているものの名によって綽名することもある.)

意味の中にも aspect が存在する.それは,i) 意味されるもの, ii) 意味するもの, iii) 意味すること自体
分けることができよう.
学問的にはそれぞれ,意味論或いは語彙論,音韻論音声論文字論,文法論,などになるが,
またもうちょっと広い視野から言語地理論というようなのもあったりします.


さて,話し手の意図する「意味」は,「言い表し」を経て聞き手に了解されるわけだが,
そこには屡々誤用があって,それが受け入れられて行ったりということもあるようだ.


and then, 語は概念---ある言葉について思い浮かぶものに存在する共通項の総体---の区切りで,
結局それ以外との差を表すに過ぎず,犬の本質はいぬという言葉には宿らない.
ちなみにこの共通した内容は内包,それが当てはまる範囲は外延と呼ばれる.
「オレンジの白衣」といったときに「外延と一致しない」的な突っ込みが入ったのを思い出す.
切り方は言語による.

語源については結局考えようのないことも多いけど,人---一---等,というような比較から,

かつてはこれらの全てに共通したある概念が多義にわかれた,と考えたりはできる.



さて,意味については類義と対義が考えられる.
類義といっても色々あって,殆ど一緒から,包摂する場合,一部が重なる場合,
あるいは1つの軸上で隣接してるタイプの類義.それらにはやっぱり色んな位相がある.
その類義の中の対立,には,言い回しの新しさ,とか,上品さであったり,
晴れと褻のようなパターンであったり,卑しめて言う言葉があったり,雅な言葉遣いをあえてすることもある.
対義についてはAと非Aであったり,軸上の両極(反対概念)であったりする.
後者の場合は間のがどっちに属するか,ということもあって,灰色はどっちか言うと黒っぽい.
このとき,両者の間は常に連続的であり,白も黒も灰色と言おうと思えば言えるはず.
白と黒という概念で見るとき,対立性が強調され,その連続性は隠れてしまう.


さて後は(そろそろ失速),単語の意味について考えてきたが実際は文章の中に埋め込まれてて,
ある程度のまとまりを"言い表し"もって初めてそれが意味を成す.
この際になされるのは,連続的な感覚とか事象を分析的に見,ある体系のもとに切り,
その体系を意味の担い手として 他者と共有しようとする営み=言い表し,である.
この際に相手が意味を了解するやいなや,その構造としての言語は消え失せてしまう.
尤も,現実には解釈の介在なしに"察する","気配"を得る,ということもありはするが.

最後に,「ことば」にある「事」と「言」には語源的繋がりがあり,意味としても
「語り出されてはっきりとあること」=事,というような連続性があった,というような話.
徐々に言が必ずしも事実でなくなり,言の葉となり,意味が分化していくことになる.


ざっくりとした,まとめ.しかも自分用でこれだけ読んだら余り意味のわからない人が多いのではないか.
申し訳ない.

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