Sunday 8 January 2012

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やっぱりお風呂入りながらの考え事は捗るなぁ.
ほとんど意識を飛ばした状態で考え事ができて,
あちらこちらを見回しながら,びっくりするくらい «独り» で居られる.
うかうかしてると湯気と一緒に考えも飛んでいってしまうんですけどねー.

ほんとに自分が好きなものを見極めるのは難しい.
でも最終的には,その中から選択をしなければならなくて,
選択というのは可能的に存在したほかの選択肢を捨て去ることに他ならない.

「選ぶ」んじゃなくて,「捨てる」.そうやって人は生きていくんだといっていたのは,誰だったか.
いずれにせよ,こんなことを今更リアルに感じ始めた自分の未熟さには,ただただ恐れ入る.

そしてもうひとつは,「ほんとに好き」っていうのと,「一生をそれに捧げたい」ってのは違う.
さらに「学生生活をそれに捧げたい」ってのと,「一生捧げたい 」ってのも違う.
ある学問分野を,どんなに好きであっても(それこそ,それが他の何よりも大きな楽しみであっても),
それをどんなに勉強したいと思っていたとしても,或いは自分がどれほど適性を持っていると信じようと,
一生をそれに,職業として向ける,というのはまた別の話.
例えばの話,理学が好き,こんなに楽しいものは他にないし,このためならどんな努力だってできる
と思ってたとしても(実際の職業選択とかよりはずっと単純化して話をするが),
一生理学の <勉強> だけして過ごすのを僕は望むのだろうか.
こんな事言うと怒られるかもしれないけれど,ある意味それってものすごく身勝手な生き方なのかも.
少なくとも僕にとっては,ある程度まではそう.

学問上の成果っていうのは,ある人の言葉を借りれば「神様にはわかってること」.
意識としては,どれほど独創的な成果であったとしても,
「僕(または他の誰でも)がそのことをやらなかったとしても,いずれ誰かによってそれはなされる」
と思ってる.真実は一つで,彼らが求めているのは真実に他ならないから.
だとすればやっぱり,僕にとっては,
学問とかそれらもそれ自身のためにすることは結局できなくて自分自身ひいては《君》の幸せが目的になってしまう程度なのかも (元tweet)
ってこと.だとすれば,学問それ自体に一生を捧げることは,恐らく僕にはできない.だとすればね.
もうなんというか今更感がひどいけど,これから.

お風呂の中ではもっと話は進んだけれどお風呂から上がって湯気に霞んでしまった.
あんまり長く書くのもねー.
文章書いてて面白いのは書いてる内容に自分が影響されること.
最初にお風呂でふわふわ考えてたことを写してみようと思っても,
文章にしていくうちに,ここでまた考えが少しずつ逸れていく.
それは自分の内面の別の部分が出てきてるのか,書いてるうちに新しくできた部分なのか,
は知らんけど,まあ,面白い.

お風呂上りにちょっと面白そうやったから,
bbc.co.uk からの A Point of View: Why didn't Harry Potter just use Google?
という記事を読みかけたけど,喉が渇いてたのに気がついて水を飲みに立ったら集中力が切れて
そのまま8割くらいのところで止まっている.また読もう.

「もの」を「ひと」に変えるとまたちょっと組み立つべき話が変わるだろう.
ついでに「違う」とか書いたのは無論,「一般的に等しいわけではない」ということで,
両者が一致する幸せなパターンも,存在する.多分.

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