Wednesday 4 January 2012

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「語りえぬことについては,沈黙しなくてはならない.」
そして,あることを語ることそれ自体が意思表示であり,
語ること,は,内容の他にもう一つの語りを持っている,わけだ.
語らない,ということはしばしば見過ごされて,
言語化されないまま流れ落ちていく多くの感情は,本人にさえ振り返って見落とされることがある.
一つには多分,発話という event として知覚されないから.
で,それと認識されないまま流れ去ってしまった昔自分と共にあった物事はしかし,
自分のそばに空いた棚だけを残していって,それはなぜか,時々目に映る.
いずれにせよ語らないこともそれ自体が語りを持つだろうことには違いがなくて,
聞き取られない語りは静かに沈殿していく.
語りは本来聞き取られるべくして生まれたもので,
この聞き取られないための語り,という矛盾した存在を掬うために,日記が登場する.
これこれの語りは,語られなかった,という語り.
無論日記はそれだけではないけどねー.
そして自己はこうした部分に対しては充分に他者ではないから,
自分に宛てたものではありながら,或いは表向き他者への方向を想定していないのにもかかわらず,
可能的に(どうでもいいけど英語の possible 周りの単語の彩りは時に大変使い心地がいい)
他者の存在を意識出来る媒体が用いられるようになる.
follower の殆どない鍵 account とか, @null のtweet とか,
或いは読者と筆者の繋がりを明示的にしない blog (ある種の運営形態にある)とかが
居心地がいいのは,こういう感じかなぁ.




で 今日の僕が何を語らなかったのか.
ふふ,それこそ語らない.

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